「センス」の意味を掘り下げてみた
先々週と先週に企画した
僕が主催している
「Give&Give」での雰囲気が少しでも
みんなに伝えられるように
プロモーションムービーを作成中。
慎司くんが今、ドミノとかsound oneの
DTMに時間を忘れて無我夢中に
なることとたぶん同じ感覚で、
僕の場合だと、PowerPoint制作と
動画制作には、無我夢中になってしまう。
そして、デザイン関連の作業は
改めて、僕は好きなんだなと。
最近で言えば、名刺デザイン制作
説明会資料制作も、チラシ、ロゴ制作、
今回のぎぶぎぶであれば、
動画も作ってるけど、やっぱ面白い。
動画については、
5年くらい前の「B&H TV」ぶりに
作ってるけど
自分でも言うのもあれやけど
やっぱり、僕はセンスあるなと。笑
そう。センス。
この言葉って意外と大切。
人はそれぞれセンスを持っている。
それが目立つ、目立たないの差は
少しながらあるにしても
必ず、僕にあって、君になくて
君にあって、僕にないものがある。
それを僕はセンスと呼んでいて、
できないこと、したくないことを
無理に強要しても何も意味がなく、
やりたい人、得意な人に
その、センスがある人に任せれば
みんなハッピーだと僕は思うんだ。
慎司くんは、音楽のDTMのセンスが
圧倒的に、というか郡を抜いてある。
俺が今から勉強したとしても
慎司くん以上になるのはたぶん無理。笑
だって、慎司くんのが楽しそうにやるから。
これがセンス。
智樹くんであれば、靴磨きに対するセンスだ。
これを僕では絶対に勝てない。
それは、一昨日のぎぶぎぶでの
自信あるトークが証明している。
パートナーであれば、家事のセンスだ。
毎日僕が1番隣で見ていているから
よくわかる。
料理にしても、洗濯にしても
とにかく手際が半端ない。
母さんよりすごい気がする。笑
でも、僕は僕の役割りがあるから
みんなのことは気にしない。
むしろ、そこへは感謝しかない。
そしてなぜかこれを
社会では駄目という風潮で捉えているから
ややこしくなっているんだ。
あいつがやっているから
お前もやれ、とか
なんであいつができて
お前にはできないんだ、とか
…
できないのは当たり前だ。
僕は僕であり、君は君なんだから。
本当の意味での感謝というのは
他力からしか生まれないと
僕は思っている。
できないから、
周りが助けてくれるもんだ。
そして、ありがとうが自然に出るんだ。
僕のセンスとあなたのセンス。
ぎぶぎぶし合って
本当の意味でのありがとうを
言い合える関係を作ろうじゃないか。
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