「当たり前」って実はとても怖い
そういえば、僕たちって、当たり前のように
小学生になり、中学生になり、
その後、自分が希望した高校に入り
人によっては、
その後、自分が希望した大学に入り
自分が希望したどこかの会社に勤め、
おそらく、その会社で65歳くらいまで働き続け、
その後、老後をゆっくりと過ごし、
着々と「死」へと向かっていく、
そんな、人生を歩んでないだろうか?
かくゆう、僕も今年で26歳になって
そんな状況の一歩手前なのかもしれない。
でも、少し冷静に考えてみてほしい。
自分が初めて選択した高校も、
受験戦争に勝ち抜いて入った大学も、
合計で7年間という月日を
どういう思いで過ごしていた?
僕は、正直覚えていない。
高校も大学も、みんなが行っていたし
とりあえず行くのが当たり前だと思っていた。
でも、それはただの勘違いだった。
「最低限、高校は行っといたほうが良い。」
「大学に入らないと良い会社には就職はできない。」
と、親、先生、世間が作った
"当たり前"に洗脳されていただけだった。
自分が全て選んだつもりでいただけで、
本当は違う、選ばされていただけだ。
なぜなら、
そちらのが高校も、大学もお金が循環するし、
日本政府としても、その当たり前を
幼いときから洗脳し続けることで、
8割近い人がサラリーマンとして、
いや、言い換えれば自分で選択したと思わせ
都合が良いように扱う人材が生まれ、
「お金」という対価をエサに
動かしていたといっても過言ではない。
そう、僕らは動かされている。
強い善の勢力に。
「義務教育」があるのは
同じ思考を持つものをそろえた方のが
大人になってから動かしやすいから
(多数決が正しいという社会を作りたいから)
「給与制度」があるのは
汗水流して働かないとお金はもらえないという
当たり前を作りたかったから。
「年金制度」があるのは
老後はお金がないかもしれないから、
今のうちに頑張って働いて税金を納めて、
あとあと楽になりましょうね。と思わせ
働くことを当たり前にさせたかったから。
…etc
正直、本当の意味は僕にもわからない。
けど、もし、上のえらい人たちが
↑のような思いで、
国民を動かしていたらどうだろう?
たちが悪いは、
それを"当たり前"とさせているところ。
違和感なくそれで生きているということ。
あなたはどう思うだろう?
でも、そんな社会に気が付き始めている人が
少しずつ増えてきた気がする。
「働く意味って?」
「お金の本当の価値って?」
これらの真理を深堀したときに
これまで"当たり前"とされてきたことが
すべて崩壊するんじゃないか。
僕自身の夢はその当たり前をぶっ壊し、
本当の意味での人生を歩む生き方を
伝えれる、そんな人になりたい。
それが僕の使命かもしれない。
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