「在る」を見てあげる。
"○○ない"と「不足」を感じてしまうと
自然とその願い通りになってしまう。
愛、お金、時間…etc
愛だって本当はある。
親からの無性の愛、友達からの優しさ。
ほら、ちやんとある。
お金も本当はある。
今日もこうして電車になれる。
コンビニでお茶だって買える。
僕らは十分に持っているじゃないか。
時間も本当はある。
誰しも平等に24時間もある。
ないわけじゃない、
ちゃんと神様は時間を与えてくれている。
赤ちゃんにも、僕にも、あなたにも。
ほら、ちゃんとあるじゃないか。
そう、僕らは本当は99%以上のことは
ちゃんと持っているはずのに、
なぜか、1%以下のないを
過剰以上に感じてしまう癖がある。
僕にもある。
これまでソレを痛いほど経験してきた。
ソレを感じてしまうから
現実はその結果、つまりは、
"ない"というセカイに引きずり込まれる。
そしてこのジレンマから抜け出すのは
とてつもなく難しい。
今日の僕は"ない"のセカイの住人だ。
このセカイはすごく、すごく狭い。
苦しい、楽しくない。
だから、"ある"を感じるだ。
今日もちゃんと僕らには全てのものがある。
心臓もある、生きていられる。
足も手も耳も口もあるじゃないか。
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