本当は全てを持っている

本当は

もともと僕らは全てを持っている。


愛も、富も、時間も、友情も

…全てを。


ただ、厄介なのは、

全てを持っているからこそ、

僕らは普段気づけない。


いや、気がつくことができない。

気づけないということは

自分の中でそれが当たり前に

なっているということだ。


大好きな人に振られたときに、

初めて自分の心が傷つく感覚を知り、


結膜炎で目が開かなかったときに

初めて目の見える幸せを知り、


おじいちゃんをを失くしたときに

初めて叔父の存在の凄さを知り、


適応障害になったときに

初めて自分の無力さと絶望的を知り、


お金がなくなったときに

初めて目の前の有るの存在を知り、


自分の情けなさと未熟さを認めたときに

初めて親からの無償の愛を知り、


その瞬間、瞬間は

本当に辛いことばかりだった。


でもこうやって振り返れば、

僕は、シュントくんは、もともと

感情を表現出来る心を持っていて

親という存在もちゃんといて、

五体満足の体を持っていて、

パートナーという存在もいる上に

お金というものもちゃんとある。


そう。すべてちゃんと持っていた。


僕が気づかなかっただけで。


言い変えれば、

何か目の前に不足の状態、

ないしは、

辛い出来事が起きたというのは

実は、あるを再確認させてもらえる

ものすごくありがたいコトなんだと

今なら心からそう思える。


適応障害から約6か月がたった。

最初の2ヶ月くらいは、

自分自身も認められなかったし、

周りも認めてくれる人もいなかったし

本当にしんどかったけど、

それもまた完璧だったなと。


そう、僕らは本来は全てを持っている。

それに気づくだけ。

ミズタニシュント official blog

2018年8月に突如として発症した 「適応障害」をキッカケに、 生き方、常識、仕事、お金、愛、…etc の本質的な意味を見直し、 あるがままに、完璧な今を過ごす ストーリーをリアルタイムに 発信していくブログです。

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