本当は全てを持っている
本当は
もともと僕らは全てを持っている。
愛も、富も、時間も、友情も
…全てを。
ただ、厄介なのは、
全てを持っているからこそ、
僕らは普段気づけない。
いや、気がつくことができない。
気づけないということは
自分の中でそれが当たり前に
なっているということだ。
大好きな人に振られたときに、
初めて自分の心が傷つく感覚を知り、
結膜炎で目が開かなかったときに
初めて目の見える幸せを知り、
おじいちゃんをを失くしたときに
初めて叔父の存在の凄さを知り、
適応障害になったときに
初めて自分の無力さと絶望的を知り、
お金がなくなったときに
初めて目の前の有るの存在を知り、
自分の情けなさと未熟さを認めたときに
初めて親からの無償の愛を知り、
…
その瞬間、瞬間は
本当に辛いことばかりだった。
でもこうやって振り返れば、
僕は、シュントくんは、もともと
感情を表現出来る心を持っていて
親という存在もちゃんといて、
五体満足の体を持っていて、
パートナーという存在もいる上に
お金というものもちゃんとある。
そう。すべてちゃんと持っていた。
僕が気づかなかっただけで。
言い変えれば、
何か目の前に不足の状態、
ないしは、
辛い出来事が起きたというのは
実は、あるを再確認させてもらえる
ものすごくありがたいコトなんだと
今なら心からそう思える。
適応障害から約6か月がたった。
最初の2ヶ月くらいは、
自分自身も認められなかったし、
周りも認めてくれる人もいなかったし
本当にしんどかったけど、
それもまた完璧だったなと。
そう、僕らは本来は全てを持っている。
それに気づくだけ。
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